2023.11.20
とある街にすべてを捨てた話をしよう。生活、貯金、仕事、家具。デートで着た服、誕生日に貰ったドライフラワー。全部捨てた。たとえ無一文になったとしても、とにかくこの現状から逃げ出したかった。これ以上この男と一緒にいたって、私が〝自分が好きな自分〟に戻れる時など、一生来ないと思ったからだ。
限界が訪れた頃、初めて親に相談をして、そこで初めて涙が出た。
「帰っておいで」
母の言葉は偉大である。そこからの展開は非常に早かった。
二日後に同棲解消を申し出た私は、その一週間後に京都でひとり暮らしをするための新居を契約し、仕事や賃貸などのあらゆることを精算してから一ヶ月後に実家へ避難。入居日までの空いた期間はそのまま居候させてもらい、さらにひと月が過ぎた今年の四月、晴れて地元でひとり暮らしを始めたわけだ。
引っ越し初日の買い出し帰りは、久しぶりに空の色を綺麗だと思えた。憑き物が落ちた、というのはまさにこの感覚を指すのだろう。捨てたものを新たなかたちで少しずつ取り戻す日々は、今も心地よく継続している。
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冒頭の「とある街」とは、大ざっぱに言えば東京のことだ。今年の春先まで五年間、私は東京(らへん)に住んでいた。
あれ以来、九ヶ月ぶりにこの街へ戻ってきた目的は主にふたつある。正午に東京駅へ到着し、新幹線を降りて二分で迷子になったりはしたものの、どうにかホテルへ荷物を預け、久しぶりの山手線に乗る。
まずひとつめの目的は、知り合いのお姉さんが始めたというカフェへ行くことだった。ここでもひと駅降りる場所を間違えたのだが、私は別に地図が読めない人間ではない。そもそも検索していた住所が間違っていただけである。
さて、気を取り直してもう一度電車に乗りなおし、今度こそは正しい駅からお店を目指した。冬晴れの麗らかな陽射しの下を、野良猫しか知らないんじゃないか? みたいな道を通っていく。本当にこれが正規ルートなのか疑わしくなるような道だった。付近に着いてからもしばらく同じところを行ったり来たりし、あるはずなのにそれらしきものが見当たらないカフェを探した。要は、とても分かりづら〜い場所にあるお店なのだ。
だけどそんなところでお店をやるのが何だか妙にあの人らしく、きっとお変わりないんだろうな、と再会の予感に胸は高鳴るばかり。
ようやっとたどり着いたお店は、結局私が三度ほど通り過ぎていたはずの場所にあった。やっと見つけたよ、と思いながら門より少し奥にある入口へ進む。
四年ぶりくらいの再会だ。覚えてられてなかったらどうすんだ、という気持ちは少なからずあった。でもドア横の窓越しにお姉さんと目が合った瞬間、そういったものはすべて吹き飛び、私はやっぱり笑顔になってしまった。一瞬フリーズしたお姉さんがこちらを覚えていそうな感じを確認してから、やさしい木製の扉をひらく。
「嘘でしょう?」
お姉さんの第一声はそれだった。
「ほんとですよ」
つもる話はたくさんある。だけど何より、
「オープンおめでとうございます」
と、お姉さんが長年の夢を叶えたことにひとことお祝いを言いたくて、私は今日ここへ来た。ありがとう、と嬉しそうに笑うお姉さんは、かつて一緒に働いていた頃の記憶と何も変わらなかった。
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お姉さんは私が学生時代にアルバイトをしていたカフェの仲間であり先輩である。その頃から「自分のお店をひらきたい」とおっしゃっていたので、私が先に退職をしてからも密かに応援はしていた。
開店の知らせを人伝に聞いたのは一年半前くらいのことで、いつか行こう、とは思ったものの、何やかんやと後回しにしているうちに、私は東京を離れることになってしまった。京都に戻って、それだけが唯一の心残りだった。
お姉さんはカウンターに並んでいた素朴な焼き菓子たちを「お代はいいから好きなだけ食べなよ」と言ってくれた。そう言われたら遠慮しないタイプの私は本当に遠慮なくケーキ、スコーン、キッシュの三種類をお願いした。
「今何してるの?」
それらを生クリームと一緒にお皿に盛りつけてくれたあと、私の向かいに座ったお姉さんが聞く。
「実は今京都に住んでるんです」
「あ、帰ったんだね。仕事?」
「いや、仕事じゃなくて」
いただきながらひと呼吸置き、私は答える。
「一緒に住んでた男を捨てたかったからです」
そうしたら、なんか成り行きで京都に帰ることになりました。
まったく、やさしい味わいのお菓子と、穏やかであたたかいこの空間には少しもそぐわない報告である。お姉さんは口もとに手を当てて爆笑した。笑って、そして「かっこいいね」と言ってくれた。
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自分を見失う経験は誰にだってあるのだろう。九ヶ月前までのあの塞ぎ込んだ暮らしの中で、私はどんどん自分を嫌いになっていった。それまでの十年近く、本当の意味で自信をなくすことなど一度たりともなかったのに、だ。
純粋に他者を認める気持ちも自己否定へと繋がった。このお店のInstagramのアカウントを見て、お姉さんは夢を叶えているのに、私は一体何がしたくてこんなところにいるんだろう、と心底自分が馬鹿らしくなった。
特別やりたいことがなくても、毎日楽しく幸せに生きていけたらそれでいいやと思っていたのに。でも〝自分〟という土台がひとたび崩れた瞬間、人生はこうも瓦解する。
瓦解するんだ。
数えきれないほどの話をたくさんした。でもきっとあのままの私で会っていたなら、「今何してるの?」という質問にも「幸せになりなよ」という激励にも、心からの笑顔で返事をすることはできなかっただろう。そう考えれば今更になってはるばる京都から会いにくる、という選択も正解だった。そうやって人生は上手くできているものなんだ。
「三年以内には間借りじゃなくて、ちゃんとした場所でお店出すから、また来てね」
私の前に出されたお皿がすべてさっぱり綺麗になる頃、お姉さんはそう言った。
「もちろんです、絶対行きます」
今でもまだまだやりたいことがあるらしいお姉さんを、素直に格好いいと思えた。私がブライダルの仕事をしている話をしたとき、「お互い誰かの幸せの中にある仕事だね」と素敵な言葉をもらえたことは、ずーっと忘れないでいたい。
帰りがけには珈琲のフィナンシェをひと切れ包んでもらう。これで今日お店に出ていた焼き菓子のうち、五分の四種類を制覇してしまった(もうひとつのブルーベリーパイは苦手なので食べなかった)。
さらにそれとは別で、お姉さんはお土産としてふたつの焼き菓子を持たせてくれる。
「これ、ふたりにあげて」
〝ふたり〟とは、このあと会いにいく共通の知り合いで、私が勝手に親友認定しているふたりのことである。今回東京を訪れた目的のもうひとつのほうだ(彼らの話はまたいつか。今日の本題ではないからね)。
お店には結局二時間ほど居座り、親友どもの片方が仕事から解放される頃、私は待ち合わせの池袋へ向かった。いつか必ずまた来ます、と約束をして、行きしに歩いた野良猫道を戻ってゆく。
一度途切れかけた関係を行動力でつなぎとめるのは、存外素敵なことだった。東京を離れて自然と捨てかけていたものを、こうしてひとつ拾い戻る。次に会うとき、私ももっと自分自身の〝やりたいこと〟に、今以上胸を張れたらいいな。