monique muse

アクティブキュートに煌めいて

たとえばあなたが、終わり支度を始めても

2023.06.26


 今日は一年半ぶりに母方の祖父母の家へ行く。去年の正月、祖母の七十九歳の誕生日以来だ。しばらく会わないあいだに私はずいぶんと髪が伸びて、毎日メイクをするようになり、派手な色の洋服だって着るようになった。まあ少しは垢抜け、年相応のお姉さんもどきになれただろう。

 いつも通りにゆるふわウェーブの髪を整え、パイングリーンのボトムスを履き、お気に入りのシルバーアクセを身につける。最近よく使っている小さなバッグに財布とスマホと定期だけ入れ、仕事の日より一時間遅く家を出た。電車を乗り継ぎ、今日は少し遠い町までお出かけだ。


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 久々に会うし、お昼ごはんはきっと祖父にご馳走になるし、何かおみやげでも買っていこう。そう思いついたのは駅へ向かう途中、近所のベーカリーを通りがかったときである。味と独創性を両立した、少しだけお高めのパンが人気らしい。だがこのお店は何とも意地悪なことに、いつも私の出勤後に開店し、退勤前に閉店するのだ。そして毎週の定休日までもが私の休みと重なっている。

 そんなわけで、毎日前を通るくせしてまだ一度しか行ったことのないパン屋さん。でもその「一度」で買った四百円のクロックマダムは、おまけでもらった食パンの耳は、びっくりするほど美味しかった。

 ──祖父母、朝はパン派だったな。

 私は良いじゃん、と頬をゆるめながら木製の扉をあける。店員のおばさんは前回買いにきたときと同じ人だった。でも品揃えは総変わりしたと言っていいほど異なっていて、あの美味しいクロックマダムも今日は置いていなかった。なるほど、これは足繁く通いたくなるな。

 とりあえず今日は時間がないのであまり迷わず、奇を衒わずに定番でいくとしよう。私は綺麗にまあるく焼かれたアプリコットあんぱんをふたつ、そっと真四角のトレーにのせた。

「これ、明日の朝とかでも美味しいですか?」
「焼きたてには及びませんが、少し温めていただくとふっくら美味しくなりますよ」
「分かりました、ありがとうございます」

 それから一時間半の道中、ひとりで後悔したもんだ。ああ、片方ちがうパンにすれば良かった。そうしたら両方とも半分こして二種類楽しんでもらえたのに、と。

 甘いし、途中で飽きたりしてこないかな。ていうかアプリコットってどんな味だよ。いいやそもそもご老人は朝から菓子パン丸ごと一個なんて食うのか? パン派とはいえ、パンはパンでも朝食だったらごはん系パン食べるのでは? もうこうなったら再会前にひとつを自分の胃袋へ隠して〝無かったもの〟にし、別のパン屋で何かもう一種類買おうかな、とまで考えた。

「けどまあ、久々に会うかわいい孫がサプライズで買ってきてくれたお土産なんて何だって嬉しいだろうよ。祖父母ってのはそういうモンさ」

 頭の中で、ケセラセラな自分に肩を叩かれる。それはたしかに、そうなんだけど。私は膝の上のビニール袋に腕を突っ込み、あんぱんをひとつ片掌で持ってみた。空いた車内にガサガサとした雑音が鳴る。

 ……うーん、そんなに大きい!ってわけでもないか。大丈夫大丈夫、と言い聞かせて気を持ち直していると、ふいにマナーモードのスマホ画面に緑色した通知が届く。

改札口に着きました。

 祖母だった。お迎えの車が到着したらしい。私は「あと十分で着くよ」と返して、何となく見覚えのある車窓の景色に瞳をあずけた。


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 改札機と目と鼻の先で待っていた祖母は、少しだけ背が縮んだように思えた。それなのに「あら、あんたまた背が伸びたの?」なんて言うので、今も昔も祖母にとっての私は変わらず〝成長が楽しみな孫〟なんだろう(ちなみに帰宅後、試しにメジャーで測ってみたけど七年前から変わってなかった)。軽く挨拶を済ませて、さっそくパン屋の袋を渡す。

「はい、これおみやげ。あんず入りのあんぱん」
「ええ~? まあ~嬉しい、ありがとうねえ」

 アプリコット、と言っても伝わらない気がしたので一応日本語に変換する。渡しただけで心底嬉しそうにしている祖母に、内心ほっとひと安心。ふたり並んで右方向の階段を降り、やや小雨の舞う歩道へ出た。祖母いわく祖父の待っている車は「ナンバー42・71の臙脂色」だそうだ。

「……あら? いないねえ」

 向こう側に行ったんかしら、と言いながら私の手を引き、歩く祖母。でも駅前で待機していた車列の中には、ナンバー下二桁〝17〟の部分だけが覗く、深い赤色の車があった。あれ、エンジ色って赤じゃなかった??? めっちゃそれっぽい車あるけど、ナンバー違うし違うんやろか……

 そう思いながらも素直に祖母に続いて歩くが、どうにも何だかおかしい気がして振り返る。するとエンジ色の前の車が見計らったように動いて、確認できた運転席にはそれ見たことか、案の定、やっぱり祖父が乗っていた。

「いるやん、アレやし!」
「あらッ、ほんまや~ん」
「71じゃなくて17や」

 私はヘラヘラと自分でツボっている祖母を引き連れ、臙脂色の車に向かう。うちのおばあちゃん、こういうところがかわいいのよね。ドアを開けて「こんにちは~」と挨拶しながら乗り込んだところ、祖父はひとこと。

「おまえは何をナンバー間違えとるねん」

 ふうん、さすが金婚式済みベテラン夫婦。分かってるんだ、とひとりでちょっと感心した。私の「こんにちは~」に対する祖父の返事はなかったものの、まさしくその態度こそ、私が来たのを喜んでいる何よりの証拠だった。うちの祖父は引くほどぶっきらぼうなのだ。


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 私たちを乗せた42・71の臙脂色は、そのまま直接くら寿司へ。うちの母方家系はたまにこうして集まったとき、だいたい寿司を食べるのだ。

 今日は愛してやまない穴子(イイほうのやつ)を二皿と、うなぎ、ほたて、鯛、はらす、いくら、えび天にぎり、炙りチーズサーモン、ねぎまぐろを食べた。普通のまぐろだかトロだかの生魚は、正直良さが分からないのであまり食べない。祖父に勧められ、珍しく鯛とかはらすも食べてみたけど、やっぱりよく分からなかった。私には穴子があればそれでいい。

 けど久々に食べたくら寿司の穴子、なんかめちゃくちゃ美味しくなっててびっくりした。

「お寿司屋さんはいろいろあったし、きっと頑張ってるんやろうね」

 言って、祖母は私が「美味しい!」とおかわりした穴子を「おばあちゃんも食べてみようかしら」と注文した。

 三人でちょうど三十皿。祖父はうどんも食べていた。五皿に一回、みんな大好き「ビッくらポン!」は計六回まわったわけだけど、今日は二回も当たりが出たのでラッキーだ。

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 現在鬼滅コラボをやっているらしく、しのぶさんの缶バッジをお迎え。もう片方には小さなマスキングテープが入っていた。こっちは祖父母が「便利だから」と欲しがったのであげたんだけど。

 ちらっと見えた柄が禰豆子とか善逸とかのちびキャラで、一体何に使われるのかめちゃくちゃキニナル。「便利」ってことは手帳デコ用とかじゃないよな?? 次行ったとき、家の何処かしこの溝で炭治郎らが汚れ防止の行進してたらどうしよう。かくいう私も、この蟲柱どこにつける気なんだろう。


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 さて、お腹いっぱいになったらいよいよ懐かしの祖父母家へ。残念ながら今回は日帰りだけど、「お茶くらいしていくでしょう?」ということで、道中シャトレーゼに寄った。それぞれひとつずつのケーキを買って、久々に来た第二の実家は何も変わっていなかった。

 額縁に入れ、所狭しと飾られている孫の写真。
 祖母がいつも話しかけてる冷蔵庫。
 壁のヘンな位置に貼られた詐欺防止ポスター。
 数年分の〝Happy Mother's Day〟カード。

 祖父とゆっくり話をしたのは、この空間に戻ってきてから、ようやくだった。車でも店でも、祖母のおしゃべりが止まらなかったからだ。居間の一人掛けソファに深く腰を下ろした祖父は「ここへ座れ」と、私に隣のもう一台を指して言う。

 観たこともないテレビのローカル番組がついた。一緒に観るのかと思いきや、祖父はまだ買って月日が浅いと思しきスマホを取りだし、専用のタッチペンで何やら操作をしはじめる。

「おまえ、新しい住所は何や」

 つけられたテレビを何とな~く観ていたところ、ふいに訊かれた。住所、と復唱しながら手もとを覗くと、連絡先の編集画面が開かれている。

 なるほどハハーン。おじいちゃんったら、今日私が来たらそれ訊こうって、朝からずっと思ってたんやな?? なんや愛らしいとこあるやん。

 ──とは口にせず、私は代わりに四月に越したばかりの新しい町の名を告げた。ひと文字ひと文字、つたなく打ち込まれていく様子をソワソワしながら見守ったけど、案外器用に自分で使いこなしている。

 私はその手先を見て、ふたりとももう八十いくつの歳のはずでも、きっと平均的なお年寄りよりずーっと元気でいてくれてるのを改めて実感しなおした。白髪はあれど腰は少しも曲がっていないし、ボケてもないから孫七人の誕生日だって全部きちんと覚えてる。大病もせず、ほんとうに介護いらずの元気なおふたりだ。

 けど、だからこそ。少し切なく、ひっそり寂しくなった。

「ぼちぼち終活も考えなアカンなあ」

 他愛もない話の途切れ目、祖父が何気なく言ったであろうひとことに。ああ、終わるほうの、としか返事をできなかった。いつのまにか頬肉の落ちた横顔は、いたって真面目で冷静だった。

 統計に準じて言うなら祖父はだいたい五年か六年、祖母は十年弱で寿命を迎える。私の物心がついた頃から変わらず元気なようにみえても、時間はたしかに過ぎている。

 背の高いテレビ台の上にはたくさんの額縁、ガラスの置物、高価そうな時計。次にこの家を訪れたとき、その中のどれかひとつでも減っていたなら、私は祖父が「終わり支度」を静かに始めてしまったんだと、悟るだろう。

 それからしばらく、なんか黙っているなと思えば、隣の祖父はいつのまにか座ったまんまで入眠していた。いや、せっかく来たのに寝るんかーい。昼寝の気分でなかった私は静かに立って、祖母のいる台所へと移動する。

「何してんの?」
「ん? これ、おじいちゃんの作ったお野菜。持って帰るでしょう?」
「あー、うん。持って帰る」
「お茄子とピーマンとトマト。食べれるか?」
「うん、食べる」

 どうやら先ほどから、ルンルンと庭で収穫したり選別したり、洗ったりの用意をしてくれていたらしい。

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 無農薬のお野菜。家に冷凍の肉もあるので、明日の買い出しは荷物少なく済みそうだ。

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 あとなんかひとくち水ようかんももらった。こりゃあ止め処ない実家感。めっちゃ美味しくてこれ書きながら五分くらいで全部なくなった。


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 それから祖父の昼寝が終わるまでのあいだは、祖母が二階からよいしょこらしょと持って下りてきたアルバムを一緒に見た。家中に飾ってある写真は全部孫のものだけど、こっちには祖父母のもう少し若い頃の写真などが丁寧にじられている。二十年から三十年くらい前のものが多かった。大半は祖父と祖母とふたりの知り合い、たまに私の母やその妹もいた。

 これはこういう集まりでね。
 この服とバッグまだ持ってるわあ。
 この人はもう亡くならはったな。
 うん? これは誰や……

 懐かしい自分の写真に、祖母の思い出話がぽつぽつ落ちていく。私はいつものようにそれを適度に聞き流しながら、一枚一枚を結構じっくり真面目に見ていた。薄いアルバムを三冊すべて辿り終わる頃、祖母は一緒に持ってきていた四角形のカンカンを開ける。中には一センチほど厚さのある封筒がいくつか大事にしまわれていた。たぶん現像したものの、アルバムには入りきらなかったやつだ。

「現像」なんて、思い出はもうそんな形有る残し方をされなくなった。全部がスマホの中のデータで、そのほんの一部分でしかなく、わりと粗雑に扱われる。そもそも私は、全然カメラを使わないから。

 一枚一枚、紙芝居の物語でもめくるみたいに〝写真〟で思い出をふりかえる行為が、とても重みのあるものなんだと初めて知った。カメラロールやInstagramの投稿を、指一本ですっ飛ばして遡るのとはまったく違う。撮って、現像して、額縁に入れたり、アルバムにしたり。丁寧なその手間暇ひとつが、日々の密度をあたたかな色に変えていく。

 全部に夢中で見入っていたけど、その中でふと、私は一枚の写真に心を奪われた。

「おばあちゃん、これ、」

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 たまらなく、魅力的だった。

 私はずっとこういう夜景が好きなんだ。高層から見下ろす米粒みたいな光じゃなくて、自分の背丈とおんなじ場所で煌めいている、ただそこに在る街の明かりが。

「ああ、それもみんなで旅行したときのやつでしょ。日付が同じやもんね」
「これどこの?」
「たしか、ハワイかアメリカやったかなあ」

 ハワイかアメリカ。島と大陸じゃ全然違う。どうも正確な場所を知るのは無理そうだ。代わりに私は、この写真をもらっていいかと祖母に尋ねる。祖母はもちろん、と快諾した。

 欲しがったのは、単に「この夜が好きだったから」だけではない。アルバムのページも封筒の中も、もれなく全部が人物を撮った写真である中、この一枚だけが唯一〝街〟を写した写真だからだ。

 撮影者はそれほどこの夜に惹かれて、ひとり立ち止まりシャッターを切ったんだろう。その物語が、背景が、とても綺麗だと思った。

 撮ったのは祖母かもしれないし、ほかの誰かかもしれない。それでも私はこの写真を見るたび、きっと'88年5月1日の〝ある瞬間〟に思いを馳せる。

 この街の真ん中にいる浮かれた誰かを。
 あまりに素敵な、踊りたくなるどこかの夜を。

 たとえば祖母が亡くなったとき、わたしにとってこの一枚は静かに色を増すだろう。たった一枚、私が祖母にもらった写真。瞳も脳みそも燃え尽きた祖母が骨のカケラになったとしても、変わらないのだ。だから思い出は有形に。

「私も写真、なんか印刷してみようかな」
「あら、良いんじゃない?」

 祖母は笑った。写真の頃より、ずいぶん小さくなった目で。


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 ところで、お年寄りの一日のタイムテーブルはとっても早い。夕方四時に駅まで送ってもらおうか、と呑気に考えていた私は、期せずして二時半過ぎに祖父母の家をあとにした。ふたりがいつも五時半に夕食をとるらしいので仕方ない。夕食後の祖父にまた運転を頼むのはさすがに申し訳がないだろう。 冷蔵庫にはビールもあった。

 一緒に夕飯を食べない代わりに、最後はくら寿司からの帰路、シャトレーゼにて買ったケーキで優雅なティータイムを過ごす。

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 瀬戸内レモンと紅茶のクレープケーキ。祖母が淹れてくれたアイスティー。ちょうどいい自然光がさしていて(綺麗な写真が撮れる!)と内心ひとりで喜んだのに、祖父が無慈悲に電気をつけた。まあこれはこれで絶妙な実家感が出ているから良しとしよう。このテーブルマットとかやばいっしょ??

 ちなみに祖父母はふたりそろって苺のショートケーキを買い、アイスコーヒーを飲んでいた。祖父は「もっとええ苺使えや、酸っぱいなあ」と笑いながら文句を。祖母は「最近こういうの食べたいなあと思ってたから、嬉しいわあ」と幸せそうに。

 私もスタバの新作を飲んでから、レモンがちょっと好きになった。少し前の自分なら絶対選ばなかったケーキ。最近、ルーティンを外れることにハマっている。

 爽やかな酸味とクレープの優しい甘さで、めちゃくちゃ美味しかったです。おそらく期間限定なので、近いうちに機会があればぜひとも食べてみてほしい。

 帰りの車中、「次は泊まりでゆっくり来いや」と祖父が言った。あまり連休をとれないので難しいけど。でも、年末年始には十日くらいのまとまった休みがもらえるそうだ。だから絶対来るよ、と言えば今度は「年末まで来うへんのか」と返される。

 おじいちゃん、やっぱり今日私が来たこと、実はめちゃくちゃ喜んでるな。そんなに寂しそうにせんでも、年末までのあいだに一回はまた行くつもりよ。今日かて心底「来てよかった」と思ってる。

 だからまた近いうちに。それまで変わらず、お互い元気で。

 おじいちゃんの育てた茄子のうち一本は、翌日お昼のパスタに使われました。ふつーに三百円くらいするモッツァを買って。これ何気に自分で作ってみたかったんよね。

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 残りの二本は、これからピーマン数個と一緒にひき肉で炒めます。デカトマトちゃんの使い道はまだ分からない。おみやげで買って持ってったパン、美味しく食べてくれたみたいで良かったよ。またあのお店行ってみよう。